昔々あるところに…ジャン・ルソー
マガジン
01.30.19

昔々あるところに…ジャン・ルソー

by Jacques Bordier

会社の名前というものは重要なのです。なぜなら、それは歴史からその失敗と成功、そして価値を伝えていくからです。ジャン・ルソーという名は創設者の名前です。
1950年代初頭、この男性は当時のブザンソンに何社もあった革製の時計ベルトを製造する中小企業の1つでショップマネージャーをしていました。
1954年、Jean Rousseauは自分の会社(メゾン)を立ち上げるために会社を退社。当初、彼は約20人からなる社員のリーダーを務めます。 5年後の1959年、彼は義理の兄弟であるJean Simonと協力して会社を発展させます。そして彼らは起業家イベント(企業買収や合併など)がある度に会社名の変更を繰り返し、1973年にCOBRA(Compagnie des bracelets)という会社を創立します。

そのときから、会社は大幅に発展していきました。子会社が海外に設立されCOBRAは1980年代にピークに達します。また、フランス・リヨンの証券取引所のセカンドマーケットに上場しました。その続く10年間は国際的にも拡大していきました。しかし会社は価格競争が激しい中低価格帯マーケットの中にいました。優れた伝統的職人技を受け継いでいるにもかかわらず、同社は1999年に倒産しました。

私がこの事業を引き継ぐことを決めた最初の事は、この伝統的職人技の復活させることでした。私は「白い騎士」の魂を持った気になって、地域の歴史の本質的な部分を呼び起こし、世代を超えた伝統的な職人技が失われてしまう事は私には考えられないと感じました。

私にとってこの職人技は、プレミアム市場およびラグジュアリーマーケットにおいて大きな可能性を有している確信しています。もちろん、すべてを新しく始めなければなりませんでした。 金融的な損失を止め、できるだけ多くの仕事を維持することが必要でしたが、これは非常に困難でした。フランスの伝統的な職人技を再構築し、会社を復活させ、新しい顧客に私たちの持つポテンシャルがラグジュアリー業界の要求に十分応えられることを説得することも必要でした。

2001年、パリで最初のアトリエ ジャン・ルソーがオープンしました。 ブランドの再出発としてブティックは職人の製作作業や伝統技が見られるようにショーウィンドウにしました。 そして2003年には、マニュファクチュール ジャン・ルソーManufacture Jean Rousseauという名になりました。 2007年、無形文化財企業(EPV認定書)を取得することで、企業の卓越性と同時に、フランシュ・コンテ地方の伝統の職人技を継承する当社の取り組みが証明されました。この栄誉は、ジャン・ルソーで働く社員と、それぞれのプロジェクトを信じるすべての人にとっての誇りでもあります。

私たちの希望が叶うまでにはまだ時間がかかりますが、熱心になることを可能にする基盤を築くことに成功しました。 20年前、会社(メゾン)は消えそうになっていました。しかし、創立者であるJean Rousseauの卓越した業績は十分に認められ、今日、世界中で約400人の従業員とその彼らの家族が会社のおかげで生きていけます。

それに加えて、私は過去を振り返りながら今の会社のことを考えると、社長としての「社会的価値」があることを実感し、感動と感謝をしています。

EPV

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